古舘曹人氏にお目にかかる

fragie2006-01-11

 
今日は寒さが少しやわらいで、道行く人の顔にもどことなく優しさがただよっている。
去年の暮にお電話をいただき、約束をした俳人古舘曹人氏に会いに麹町の和菓子のお店「鶴屋八幡」まで出向く。
2時ちょっと前に着くと、すでに氏は来ていて、お目にかかるのは氏の句集『日本海歳時記』を刊行して以来ということになるので七年ぶりかもしれない。
「もう、僕は八六歳です」と言われたのには驚いてしまう。ご本人も言われるように、大変お元気そうである。
今日は、氏のエッセイ集のことでの打ちあわせなのであるが、その前に話題はやはり俳句のことになる。
氏は、俳句をつくることを止められてもう10年以上経っているが、やはり俳句の修練の方法についての話しとなる。多捨多作という俳句の修練の方法において氏がかつていかに厳しい方法をご自身に課しておられたか、ということは一部の人しか知らないかもしれない。

「季題を目の前にして、2時間で100句つくるのです」
「考えてはいけない、季語をいれること、五七五であること、この二つのことだけを心がけて、次から次へつくる。つくり書き留めたら、忘れること。そうして次をつくる」
「いわば、捨てるためにつくるのです」
「そうして100句もつくったらそれをもう一度見ていくと、10句くらい句が残るのです」

そういうふうにして、句を生みだして来た、というのである。更に驚いたのは、この方法で俳句をつくろうと思ったのは、七〇歳になった時であるということ、何十年と俳句をつくり続けて来て、七〇歳になって新しい課題を自身に課す、そのことに私は驚いてしまう。
氏が、七〇歳にして、その俳句のつくり方に如何にして目覚めたか、それは蕪村を研究した結果であるということ、蕪村がやはりそのようにして俳句を作った、それが本来の「写生」であると、氏は語るのである。


お目にかかって、あっという二時間という時間が経ってしまったのである。(山岡喜美子)